2011年2月27日日曜日

平和日本を覆うシューカツの不安

あばばー。今日はこんなんしかでません。

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「えー、中東が、とんでもないことになっている今日この頃ではありますが、平和ぼけの日本では、学生と企業が今日も茶番を繰り返しております。東京HogeHoge通信の名古屋が、謹んでこの状況をお伝えし、世界にこの平和な、しかし当人たちは深刻かつ不安な状況をレポートいたします」では、記事、送信いたします。

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<就活を巡る諸問題>

就職氷河期と言われて久しい。大学三年生は、翌々年の卒業を控え、その後の落ち着き先を確保すべく、精力的に、また懸命に活動を繰り広げる。

卒業しても職を得られない可能性がある、という恐怖をマスコミのニュースがあおり立てる。就職活動、俗にシューカツと呼ばれる年中行事は、将来をかけたいす取りゲームの様相を呈している。

20114月卒業予定者の2010年末の内定獲得状況は69%。これが、201141日になると、例年通りなら90%程度。ひょっとすると今年は90%を若干下回り、紙面に史上最悪の見出しが躍るようになることも予想される。( http://bit.ly/gKv0Yw )。

有効求人倍率は1倍少しであるから、職はないわけではないし、実際90%が就職の切符を手にすることになる。就活浪人で留年する学生がいたとしても、それは必ずしもどこも決まらなかったからそうなったわけではなく、「もっといいところ」を目指して残っている可能性もある。

就職の人気ランキングを見ると、「安定」「業界上位」を理由としたリストがずらりと並ぶ。

調査対象の大学が、入試の偏差値でみると上位の大学であることと、彼らが目指すいわゆる大企業の有効求人倍率は、0.4とかなり厳しいことは確かだ。つまりは、「上位校の大学生が、人気企業の新卒正社員を目指して必死になっている」様子が、マスコミが描く就職氷河期の実像だと言えよう。

安定志向とはいえ、人気のあるそして業界上位の規模の大きい企業は、単に人気があると言うだけで安定しているという保証はどこにもない。事実、破綻を来したJALも、2009年でさえ、順位を大幅に落としたとはいえ63位であり、前年の2008年には23位、さらに前年の2007年にはANA27位に続く28位だったのである。まさしく寄らば大樹の当てずっぽうでしかない。

これだけ大量の情報を迅速にシェアできる環境にありながら、学生たちは「大きくて以前から人気のある会社」という以外の選択基準を持ち得ていない。そして、就職が依然「就社」という終身雇用システムの名残りを引きずったものであることも、また事実である。

この会社選びの基準は、学生たちは自分たちの幸福論のキーワードに「安定」や「安泰」を据えていることを意味する。安定、は変化を嫌う言葉でもある。

しかし、企業をとりまく環境は、変化の波が押し寄せている。とりわけ日本の大企業は、グローバルな競争に晒されるなかで、リスクを負うことなしに生き残れない状況に追い込まれている。

可能性の高い若者に職業的な訓練を施し、若年の間は給料を低く抑え、戦力になってから賃上げをして、会社への忠誠心の高い社員を安定的に確保するという終身雇用システムは、会社のサイズや適材の配置に柔軟さを欠くことから、すでに破綻を来しつつある。

各企業に求められているのは、その時々に必要な人材を必要なだけ確保できることである。その時々に必要な人材とは、当該のビジネスユニットですぐさま課題解決にあたれる人、すなわち即戦力となりうるプロフェッショナルである。

中途採用とレイオフが柔軟に行える、つまりは流動性のある人材市場を前提とした雇用環境の整備こそが、日本の企業の競争力向上に求められている要件である。しかし、そうした雇用環境の整備はまだまだ遅れている。もちろん、各企業も、正社員の放出が困難な状況の中で、自社の人材の再教育などを通じてなんとか対応をしている。

大企業の新卒の雇用減は単に不況のみならず、そうした人的資源の確保と活用のための、これからのシステム整備に向けて、従来型の新卒一括採用からの脱却を準備しつつあることを反映しているとも考えられる。

大学も企業も学生も、一部を除いて、卒業後入社して程なく活躍できる専門的な能力が身についているとは考えていない。

今のシューカツの本質的な問題は、職業能力を身につけていないことを自覚している大学生が、即戦力(もしくは促成栽培可能な人材)を求めはじめた企業に対して、その企業への貢献可能性、熱意、意欲をアピールしなければならず、また企業も終身雇用を保証できない中で、短期的将来価値を前提とした「少しでも優秀な学生」を、評価基準を探りつつリスクを冒して採用するという、ややもすると納得感の薄いマッチングになることにある。

就活、そしてその後の就職における学生の不安は、幾重にもわたっている。まずは、それまでに経験したことのない目的的組織に帰属すること。職業適性と職業能力の獲得可能性に関する不安。その企業の安定性・持続可能性。将来キャリアアップをどのような形で行ってゆくか等々。

こうした大いなる不安に対して、職場における管理職的立場にある人や企業そのものが新社会人の将来モデルを提示し得ないのも、また大きな問題点の一つである。

本質的な問題には、根本的な対応をとることが、基本的に必要になってくる。

一つは、労働市場の整備。これは法整備を含めた市場の整備が必要になる。

続いて、各企業の雇用・賃金モデルの再構成、とりわけ年功以外の能力に応じた報酬体系。社内教育体制の整備強化。インターン制度の創設と整備。

高等教育における専門知識の習得体制。例えばマーケティングや会計など。

就職時の能力評価システムの再構築。インターンや推薦状などの複合的手法。

これらに加えて、時代と個人のニーズに応じた幸福についての考え方は、学生の人生設計に大きな影響を及ぼす。特に、安心・安泰以外の価値の発見が、「就社」をめざし大手企業一本槍からより幅広い「就職」における企業選択、さらには起業へと多様な就業機会を自らの手で開拓することを可能にするであろう。

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2011年2月17日木曜日

多様性理解の理解

みゃーーーー。今日はこんなんでてきましたぁ。

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私、早応大学新聞記者、教育学部教育学科教育人類学専攻二年の石目帯子と申します。本日は、多様性理解が就活の成否に影響する、ということを説いておられる、中州産業大学准教授の筒抜鷲隆先生にお話を伺います。

石「まずお伺いしたいことは、多様性ということ、それを理解するというのはどういうことなのでしょう」
筒「多様性ってのはね、英語で言えばダイバーシティ。就活の文脈で言えば、職場環境における多様性のことだよ。つまり、性別やら国籍やら年齢やらなんやら、たくさんの属性とか指向性をもった人がいることをしっかりと認識すること」

石「いろんな人がいるってことはわかりますが、その人たちを認めるということですか?」
筒「ま、そういうことだね」

石「でも、あの人と一緒にお昼食べたくないなって言う人、いますよね」
筒「仕事においては、一人一人の能力を認め合うことによって、チームの力が発揮されるわけ。だから、お昼の時間は一緒にいかなくとも、会議やワークショップでは、その人の能力を認めてあげることが大事なんだ」

石「要するに、人の好き嫌いをしない、ということですか?」
筒「そうそう、そういうこと」

石「だったらそう言えばいいんじゃないですか?」
筒「つっかかるねえ。柔軟性とも言う」

石「なんで、それを、ダイバーシティとか多様性とか言うんですか?」
筒「え、なんでかって?」
 
 「.....そりゃぁ、ああた、かっこいいからだろう」

石「先生は多様性理解を、企業が求める力だとおっしゃいますよね?」
筒「そう、多様性の理解こそ、企業が求めてるんだよ。それは、多様性を理解している学生、つまり、ものごとを柔軟にとらえられる力がある学生は、就職が決まるのが早いという事実に現れているんだ」

石「就職が決まるのが早いのは、頭がいいからじゃないんですか?」
筒「だとすれば、頭がいいと言うことと多様性の理解は相関しているわけだ」

石「いろいろな会社があるという、会社の多様性を理解してですね、ここでもいいやってぱぱっと決めちゃうんじゃないですか?」
筒「懐が深いっていいことだよね。決断の早いこともいいことだ」

石「おっちょこちょいと多様性の理解は相関してませんか?」
筒「楽天的であるということは、生産性に良い影響をもたらすと思うよ。直接関係があるかというとそんなことはないけど」

石「たとえば、GoogleにしてもFacebookにしても、学力にはめちゃくちゃこだわりますよね。うすらぼんやりした学部卒業生なんか歯牙にもかけない。いや、国内企業だって最近は、やっぱりどこの大学かということが、重要だなんて言い始めていますよね」
筒「学力ったってそりゃあ、エンジニアとしての能力もあれば、論理的な思考能力みたいなこともあるわね。馬鹿を能力とは普通はいわないんだから、そりゃ仕方ないんじゃないの」

石「でも、多少能力が劣っても、多様性を理解する能力を持っている、そういう人を企業としては求めているってことじゃないんですか?」
筒「突き抜けた能力があれば、っていう条件付きだよね。平々凡々で毒にも薬にもならないようなつまらん学生は必要ないってことだよ」

石「突き抜けた能力がまずあることがまず大事なのであって、多様性の理解は二義的なものではないのですか?」
筒「いや、そうとまでは言わない。多様性の理解ができなければ、いくら他の能力があってもだね、協調して仕事ができないじゃないか」

石「でも、その人以外が全員多様性を理解していれば、一人協調性も柔軟性も思いやりのかけらもない人間がいても大丈夫ってことですよね」
筒「論理的にはそうなるね」

石「多様性を理解していたとしてもですよ、例えば、隣の人のフケだらけのジャケットが気になって、仕事が手に着かないとか、普通にありますよね」
筒「そういうどうでもいいことを言わんで欲しいなあ。そんなの注意すればいいじゃないか」

石「でも、いやさっきからそのフケが気になってですね」
筒「え、おれのこと?いやごめんごめん。で、何の話だっけ?」

石「多様性を理解している人は、就職が早いから、企業が多様性理解という能力を求めているとか、就活に有利な能力というのがよくわからないんです」
筒「どうして?」

石「嫌いな人がいても我慢しなさいってことが、どうしてそんなに大事なのかが、腑に落ちないんです」
筒「だって、ものごとを柔軟に考えられるってことは、例えば面接やグループディスカッションで、どんな質問や主題が来ても、ちゃんと対応できるってことだから、就活にいい効果をもたらすってことじゃないか。ストライクゾーンが広いと、選択肢が増えるから、いろんな仕事に適応できて、会社への貢献しやすくなる」

石「クリエイティブに物事が捉えられて、発想が柔軟だけど、人とは協調できなかったり、妙に頑固で好き嫌いの激しい人ってよくいますよ」
筒「だから、そういう人を認めるのが多様性理解なんだよ」

石「でも、その人は多様性を理解していない人ですよ」
筒「いいじゃないか、仕事ができるんだから」

石「突き抜けた能力を持つことがまず第一であって、多様性の理解は二義的なものではないのですか?」
筒「いや、そうとまでは言わない。そうとまでは言わないが、やっぱり大事なんだよ」

石「でも、残りの全員が多様性を理解していれば、才能はあっても協調性も柔軟性も思いやりのかけらもない人が一人いたとしても、大丈夫ってことですよね?」
筒「論理的にはそうなるね」

といった議論が延々3時間続いたあげく、お互いがお互いを理解できないまま、インタビューは終了した。

2011年2月16日水曜日

What can you do?

今日はこんなん出ましたー。

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 映画を観に行った。最近話題のやつで、世界最大規模だかユーザー数5億人だかのSNSを立ち上げた男の話。僕もそのサイトはほどほどに使っている。本にせよ映画にせよベストセラー作品にはそう簡単には手を出しはしないぞと、天の邪鬼な態度を取るのはいつものことだったのだけど、仲の良い友人連中が普段の会話やらブログやらでこぞって絶賛してるもので、まぁ観に行ってみるかなと映画館に足を運んだのだった。

 今の理由は半分本当で、半分嘘だ。行こうと思ったきっかけは友人のブログなんだけど、いつものように、重い腰を上げて「しゃあない観に行ってやるか」というような心持ちではなかったのだよな、なぜか。呼ばれたような気がして、さ。今絶対映画館で観とかなきゃダメだって、そういう気持ちになってた。

 で、案の定引き込まれたわけ。映画が終わった後軽い眩暈を覚えたのは久しぶりだ。鳴り物入りで日本にもやってきた最新3D技術を尽くしたハリウッド映画を大音量で重たい3D眼鏡をかけながら観た時にもこうはならなかった(そっちはむしろ、興醒めと言って良いぐらい)のに。今なら、なぜこの映画に呼ばれたのかなんとなく分かる。

 映画では、サイトを立ち上げた主人公に、「俺たちのアイデアをパクりやがってこのオタクめ」と、屈強なボート部のエリート兄弟が訴訟を起こしたのだけど、彼らに対してその主人公が、「作ったのは僕だ。アイデアを盗まれたというなら、自分達で作ってみろ」と反論していた。

 一瞬ドキっとした。あ、勿論盗みは働いちゃあいないけど。「自分で作ってみろ」って、なんだか自分自身にも言われているような気になって。「アイデア色々出すのは良いけど、じゃあお前、これから何作んの?」って。

 彼はそんな言動から、多くの敵を作った(彼女にも相当嫌われてた)わけだけど、純粋すぎただけなんだと思う。最後に新米弁護士が、「あなたは悪い人なんかじゃないわ。そう振る舞おうとしてるだけ」なんて言ってたけど、挑発的な言動も、根本の悪意から出てるわけじゃあない。ただただ自分の書くコードが、自分の作ったサービスが、どこまで化けるか見たかった、挑戦したかっただけなんだと思う。

 言論過多の世の中だ。希しくも彼のサービスをはじめとしたSNSのおかげで、世界中の誰でも何かのトピックについて一席ぶったり、インスタント評論家になっちゃえる時代。僕は評論家になりたいわけじゃないのだけど、なんだか最近そちらに流れていきそうで。

 千の言葉、万のアイデアよりも、一の作品が重い言葉を発する時がある。「俺はこんなん作ったけど、お前は何が出来る?」ってね。

 参ったね。ぼやぼやしてる暇、無いのだよな。

 とりあえず、女の子と一緒に観に行かないで良かった。終わった後にお茶でもしながら気の利いた話を出来るはずもなかっただろうから。

2011年2月2日水曜日

男はつらいよ、マルクスアウレーリウス編

ぐぼごぼげぼごぼ。今日はこんなんでてきましたよん。

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わし、こないだ東京に孫の顔見に行った折に、生まれてはじめて占い師に見てもろたんや。そしたら、わしの前世は、ローマ皇帝、マルクス・アウレーリウスたらいう、ややこしい名前のおっさんやった。

それから、そのマルクスはんの夢を、時々見るようになった。なんや、毎日えらいきばって暮らしてはるけど、ちょっとしんどそうな感じでもある。夢の中では、たいがいわしがマルクスになっとる。夢の中では、わしは、16代ローマ皇帝や。賢うて、筆が立って、武術にもたけておる。ぐぅあははは。東スポ読んどる場合やないっ。

嫁はんが、男好き。しょっちゅう妊娠してたけど、世間の噂では、全部が全部わしの子やないちゅう噂が風の便りに聞こえてきたこともある。それでも、わし、嫁はんにぞっこんや。嫁はんの子はわしの子や、と自分に言い聞かせた。せやから、わしは嫁はんが男と浮き名を流しても、知らんぷりを決め込んだ。

その嫁はんに死なれたときには、もう、わし、どないしてええか、わからんようになった。それからは、ココロが安らぐことはない。それで、いっそう社会貢献に力を入れるようになった。女学校作った。負債の免責もした。シャカイコウケン、ええ響きやなあ。

皇帝やから、軍の総帥でもあるわけや。周りではしょっちゅう人が死んでいく。諸行無常なり。年々歳々人同じからず。わしも、いつ逝んでまうやわからん。明日死ぬかもしれん、明後日死ぬかも知れん、明明後日死ぬかも知れん。明日死んでもいいように、生きる。命なんか惜しんだらあかん。死ぬのがなんぼのもんじゃい。怖くなんかない怖くなんかない、怖くなんかありませんっ、、、、、

いざ戦争となったら、来る日も来る日も戦闘の連続。気を抜くことは許されん。緊張が続いているにもかかわらず、ゆったりと眠ることもまたできん。わしも人の子、寝床から這いずり出るのには、決心がいる。そやから、自分の使命を、復唱して、目を覚ます。皇帝は、じぶんの命をかけて、民衆を守らんといかん。起きんかい、われ。毎日が13日の金曜日やぞ。あ、わし、何教やったかな。

皇帝たるもの、いちいち腹たててたらやっていけん。大体、みっともない。ピュシスに反することや。あ、ピュシスってなんやったかな。あれー? いずれにしても、アンガーマネジメントが必要なんや。そう、不動心。口のくさい奴、薄汚れた奴、いろいろおるけど、病気かもしれんし、風呂に入れん事情もあるやろ。だいいちまだ西暦200年にもなってない。ウォシュレット欲しい?贅沢抜かすなわれ。高見山大五郎もゆうとった。人間我慢や、辛抱や。

すていふーりっしゅは、あかん。すていわいずやないと、あかんのや。

すていはんぐり、あ、腹減ったなあ。

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ふー、目が覚めた。わし、やくざになって、毎日がドンパチやった。武装派として、のしあがった。何人も舎弟が死んでゆき、いつ死ぬかも知れん人生やった。それも、組の平和のためや。まあ、そもそも「人生」なんちゅう言葉は、やくざの辞書にはないんや。

そやけど、もう、疲れた。

ここらで一息ついて、温泉でもいきたいなあと、思うようになった。

そやけど、それは許されん。親分は、組を守らんと、子分が路頭に迷う。

やくざが自殺するときは、辱めをうけたときだけや。

わし、ほんまは本読むの、好きやねん。隠れて塩野七生の本、全部読んでもうた。