2011年1月27日木曜日

なんで「書く」ことを仕事にしたんだっけな

No.3です。
本日は、朝っぱらからこんなん出ましたです。
----------

ほかのネタで書こうと準備してたところ、
「目覚まし」なエントリーを拝見したので、変更。

「書く」ということ

コレに刺激されて、
「私、なんで『書く』ことを仕事にしたんだっけかな」
というのを、書いておこうかと思ったのでした。

芸術家や料理家にあこがれてたんですよね。
自分が生んだ作品が、自分の知らないところで、いろんな人に影響を与えて
その、影響を与えられた人が、またどこかで誰かに影響するってスゴい。

ただ、見ることや食べることは好きだけども、
どうも作り手としてはセンスないよな、とか、楽しんで続けられないな、とか。
そもそも、作り手になりたい、ならなきゃ!というほとばしるものがない。

「書く」こと。
子どもの頃から、作文だけは結構好きだったので
「これなら何とかなるんじゃないか」と思ったわけです。
(いや、実際はそんな風にロジックに考えてたわけではないでしょうけどね。)
小説書いてみたり、脚本書いて公園で上演して
近所の子どもに見せたりしてましたねぇ。そういえば。

で、記者になったのです。(一旦ね。)

「書く」ことって、訓練である程度のレベルにはなれちゃう。
ただ、そこから上は、訓練だけでは身につけられない「何か」が
必要な気がします。
おもしろいテーマを見つけるセンスだったり、読ませる文章力だったり、
スゴイことを相手に言わせちゃうインタビュー力だったり。
もちろんこれらも、「たくさん書く」ことで磨かれますが、
漫然と数をこなすだけでは、多分どこかで頭打ちになるんじゃないかな。

毎日たくさん書いて(書かされて)、
時間内に、規定の分量で、
文法的におかしなこと書かないという程度の力は
ついたように思います。

何書きたいんだっけ?
ところで、取材対象の人たちスゴい。
世の中を変えている、頑張ってる。
私たちは、そういう人のことを書いて知らせる仕事。
私も実は、「そっち側」に行きたいかも。
「何かしている人のことを伝える」のではなく、
「何かする人」になりたいかも。

記者を辞めて、しばらくほかの仕事をしました。
ぼんやりわかったのは、
どうやら私は、企画だとか営業だとか、
チームを動かすことの方が(書くことよりも)得意らしく、
「向いている」ようだということ。
打合せとか、スケジュール管理とか、調整とか、
そういうことをやる係です。
(サラリーマンとしては重宝。)

「得意」と「好き」が、違うのかよ…。
でも、結局会社を辞めて、「書く」仕事に戻ってきたのでした。
企画や営業も楽しかったです。
むしろ学んだことは、こっちの方が多かったかも、と思うくらい。
でも、結局、「好き」なことに戻ってきてしまったんですね。

時間かかったな~。

今でもまだ迷いまくりです。
何を書くか、どうやったらもっと人の心に響く取材や原稿になるのか、
お金のことも大きいです。
このままでいいのか、私は何を書きたいのか…。

でも、取材は本当に楽しい。
書くことも本当に楽しいです。
締め切りが重なったり、筆が進まなかったりすると
「イーっ!!!」て、食器棚をひっくり返したくなることもありますが、
原稿に向かいながら、ニヤニヤしちゃうくらい
楽しい(こともある)。
原稿直されて真っ赤になって返ってくると、ものすごくへこむけど、
指摘がまた的確だったりするので、「まいった!」と思う。

今の私が、ライターとしてお仕事をもらっているのは、
締め切りを厳守する(スケジュール管理)とか、
打合せをリードして先方の要望をとりまとめられる、とか、
そういったサラリーマンちっくな部分なのであって、
残念ながら、文章がスバラシイから、とか、
そういったところではない気がします。
これもまたライターとしての付加価値なので、
大事にしなくてはと思います。
「モノ書き」としては、それだけではやっぱりイヤなので、
何とかしますけどね。

最初に戻って。
頑張ろうな!
彼は、書き手の中でも、単に伝える人というよりも、
やっぱり自分が動いてモノゴトを変える人なのだと思います。
それをするうえで、書けるというのは大きな力になるはず。





2011年1月26日水曜日

みぢかいおうた

ぐぼごぼ。さむいー。き、き、きょうは、こんなんしかでてこないー。

----------------------------



はげとひよこがちからをあわせー、みんなのしあわせをー、まねきはげひよっこ。



(よゐこは、うちわねた、ぶろぐにかかないでね)

2011年1月22日土曜日

やっぱ「お習字」でしょ♪

「日ペンの美子ちゃん」みたいだな。

クリスタルさんにイタコ3に任命されました。
いたこさん(「い」にアクセント)、かわいいじゃないですか。

なんかイタコっぽいこと書こうかな、と思いましたが、
せっかく1月なので、今年の抱負で。

「年賀状出す」派です。
過去20年くらい、とても引っ越しが多かったので、
年賀状くらい出さないと、あっという間に
つながりが途切れてしまうので。
(もちろん、つながりもそれなりに淘汰されるので
それはそれでいい、というところはあるんですが。)

というわけで、意外と「虚礼」じゃない感じです。
年賀状がきっかけで、ご無沙汰していた友達と
飲むことになったり、というのは1月2月によくあるし。

昔お世話になった方からの年賀状が、
毛筆の美しい字で書かれていて、
あまりにもかっこよかったので
「習字ならうぞ!」と盛り上がっているところです。
近所で、おじいちゃんかおばあちゃんが、
自宅でこじんまり教えているようなところがないかな、と。

次の年賀状は、毛筆だぜ!

最近デジタルデジタルだから、きっとそろそろ
お習字、はやると思うんですよ。
アート系のやつとか、みつを風なやつじゃなくて、
昔ながらの「お習字」。

あと、もっと手紙を書こうかな、とも思っているところです。

高校生の女子って、手紙が好きじゃないですか。
私も友達に、よく書いてました。しかも手渡し。
(何てこっぱずかしい…)

そうやって、よく手紙をやりとりしていた友達と、
年賀状がきっかけで、ちょっと文通しているのです。
彼女は島根県で小学校の先生をしています。
学校の先生だから、板書するし、手書き慣れてる感じ。
高校の当時とかわらない、
すっきりおしゃれな便せんに、きれいな字で書いてくるんですわ。

ポストにダイレクトメールや請求書以外の
封書が入ってるのって、そりゃ嬉しい。

ところで、「ブルバキって?!」ってぐぐっちゃいましたよ…。

東大生ジュン、映画Social Networkを語る(2)..ネタバレありあり

前回からの続き





支配できるもの、できないものがあることは、ザッカーバーグにも、もちろんわかっている。

映画の最後の5分は、後悔、悲哀のない交ぜになった、ひとりぼっちの人間でしかない、
最年少のビリオネアの、絶対的な孤独に包まれている。
それまでの強気一辺倒、高度成長路線は、すべてこの5分のための助走だ、と見終わってわかる。

目的のために走り続けた。支配と統制できる世界をつくり、そこに集うユーザーエクスペリエンスを増大させ、ユーザーから賞賛され、投資家から、他のIT企業から評価され、その世界はさらに拡大と進化を続けてゆき、その中心にいる。

エドワルドに、自分の一部が宿っているPCをたたき壊されて、彼の怒りを目の当たりにして、ああ、やりすぎたと反省し、自分がショーンに支配されていた、ということを初めて知る。いいタイミングで、「おれがCEOだぜ、この野郎」というふざけたタイトルの名刺が届いた、という演出が心憎い。

新米弁護士が「あなたは、Assholeなんかじゃないわ」となぐさめて、立ち去る。
冒頭のシーンで「Asshole」といって、自分をののしった女性に振られたこととの対比。

孤独の闇の淵にたたずんで、動かし得なかった自分のガールフレンドの気持ちを頭がよぎる。
失敗を謝罪するチャンスすら与えられず、どこか遠くに行ってしまった人。

でも、その人ともつながる可能性をもったFacebook。
Facebookを支配する自分が支配できない人がそこにいて、
どきどきしながら、フレンドリクエストを送る。

自分に正直であることは、他人を満足させられないという皮肉。
それでもFacebookを維持し、拡大し、強化することがやめられなくなっている自分。

コードを書く、という行為そのものは楽しくて病みつきになる要素を持っているけど、
それがなしえたことが、なしえなかったこととのギャップを広げていく...

その辺の気持ちは、ひとまず自分一人で味わっておきたいのだ。
孤独を他人と、いやエリと語り合うことで、自分のどこかが傷つくのがこわい。

おれは、マークのように強くない。
彼にとって映画の最後は、Facebookのまだまだ始まりに過ぎなかった。

もう一杯飲んだら、今日は何にもせずに寝ることにする。

エリからのFacebookメッセージに、返事するのは明日にしよう。

東大三年生ジュン、映画Social Networkを語る(1)

ごぼ。今日はこんなん出ました-。
--------------------

昨日、昼の授業が終わったあと、エリと待ち合わせて、有楽町の映画館で、ソーシャルネットワークを観た。終わったあと、呆然としながら、クレジットにNamcoのTekken3が見えたあたりで、エリに促されて席を立った。

エリが、おもしろかったね、というので、そうだね、と生返事をしたものの、まだぼーっとしていた。
「でも、やな男よねー」と続いた言葉にはっとして、「おれ、ちょっとトイレ行ってくる」といって、トイレに向かった。エリと会話を続けると、なんかやばいことになりそうな気がしたからだ。

「エリごめん。急に先輩から呼び出し食って、断ったんだけどちょっと行かないとまずいことになった。今日は徹夜になりそうだけど、明日の夕方、一緒に土曜会いこうよ。また連絡するわ。」といったまま、人がいっぱいのエレベータに乗り込んで、たいした会話を交わすことなく、エリと分かれた。マックに飛び込んで2個ハンバーガーをむさぼるように食べ、ふらふらと、薄暗いバーに飛び込んだ。デート用に下ろした一万円があるから、とりあえず、暴飲しなければ大丈夫。

バーに来るのは初めてだ。普段もそんなに飲まない。でも、とにかく一人になりたかった。エリと二人で観るのに、蘊蓄めいたことを話せるんじゃないか、って軽いノリであの映画をえらんだことをちょっぴり後悔した。ジントニックをちびちびとやりながら、映画の余韻に浸ることにした。

映画の最初に、マーク・ザッカーバーグが自己中で尊大な話っぷりで彼女を怒らせ、部屋に帰って彼女を罵倒しながら、ブログを書く。あれは、みんなマークを「外側から」観るようにさせるための仕掛けだ。おれも、ありゃないよ、なんてえらそーな奴なんだって思った。あれじゃ、ガールフレンドなんてできやしない。

だけど、一心不乱にコードをはき出し続けるマークを観ているうちに、なんとなく自分を観ているような気がして、そのうち、おれの「内なるマーク・ザッカーバーグ」がどんどんおれの中に膨らんでいった。

マークは次の3つで説明できる
  • 限りなくピュアなやつ
  • 言い訳なし、信念を曲げない強いやつ
  • 才能ある生粋のプログラマー
おれは、どの3つもマークほど際立っていない。
だけど、マークの三つの成分が見えてしまうと、
自分との共通部分もわかってきて、同情する部分ができてくるのだ。

この映画で、彼がウィンクルボス兄弟から訴訟されている理由のが、アイデアの盗用、だ。
だが、マークは「盗用」ということに対して「自分の発明だ」と強く主張する。

ウィンクルボス兄弟の「コネクトユー」のアイデアを耳にしたあとで、
マークは自分でコードを書いて、フェースブックの原型を作り出す。
全部のページの下に、マーク・ザッカーバーグ・クリエイションという権利を主張する文字を張り込む。

そりゃ怒るの無理ない、コネクトユーのコードを書くと言って「同じようなもの」を作って自分のものだなんて、いけしゃあしゃあとよく言ったものだ、と思うだろう。客観的にはそれは間違いじゃないし、だから訴訟のネタにだってなるわけだし。

でも、とマークと一体化したおれは想像した。

最初は、理学部のおれが、文学部のかわいい女の子と知り合えるには、とか考えているうちに、こうしよう、ああしよう、とどんどんアイデアが膨らんでくる。もう、湧いて出てくる。
湧いて出たアイデアを全部、そう全部一気に形にしてしまいたくなる。

そのアイデアは、ぼんやりとした「コンセプト」なんかじゃない。
実現するために、どんなモジュールとどんなモジュールをどこからどうやって持ってきて、
足りないところを自分でコードを書いてそしてそれがどのように形にされ、
どうやってデータを確認するのかわかる。

ウィンクルボスは、自分のフェースマッシュという形になったものを目にして、
おれに仕事を頼んだんだ。ひょっとすれば、フェースマッシュをみて、
これをハーバードエクスクルーシブの、
デート相手探しシステムにしたいって考えただけかもしれないしね。

いやそれ以外に大したことは何一つ聞いていない。
仕様書作ったか?核となるようなアルゴリズムを示したか?

フェースマッシュはおれの発明だ。
おれがアルゴリズムをエドワルドに助けてもらってすべてを作った。
少なくともあれはおれとエドワルドの作品だ。
写真をもってくることも、それをレイアウトして、ボタンを配置して...
一切合切おれがやった。あいつらはコードを書いてない。
今ここでこうやって形にしているものを創造しているのはおれだ。
おれが考えていることを、他人に先を越されるのはいやだ。
だから全部、そう、全部を形にしてやる。
サーバーの負荷分散考えたり、拡張性の確保を考えたり、
全部おれが以前から持っているノウハウだ。
おれのクリエイション、おれのインベンション。

いや、とにかくやりたいことは、ちゃんとしたものを作って、早くテストすることだ。
フェースマッシュで経験積んでいるから、ぜったいうまくいくはずだ。

楽しい、ひたすら楽しい。
コード書いている間、おれは無心になれる。
プログラムがどんどんできる。
ハッピーだ。

・・・・・・・・・・・

コードを書くということは、支配、統制するということだ。
コードの命ずる範囲で、物事が動いてゆく、ということだ。

プログラミングが、みんなを熱中させるのは、コードを書いた「自分が」、何かを支配できる感覚をもてるからだ。

マーク・ザッカーバーグは、自分の支配できるものの大きさを知って、それに他人があれこれいうことを嫌ったに違いない。自分とウィンクルボスが考えていることに差がある、と思ったのだろう。自分が合わせるのではなく、自分が作ってしまえば、そこにすべてが表現されている。無駄な議論をせずに、他人を黙らせられると思ったのだろう。

彼がとことんピュアなのは、自分がやりたいというものをとにかく実現させること以外に関心を寄せないことだ。コードを書いて、作動させて、ものごとを動かし、支配する。誰かにきいた、PDCAサイクルを自分の考えで回している、そんな感じだ。

訴訟も退屈、広告取りの営業も退屈、知っていることを授業できかされるのも退屈。でもFacebookの本質を一瞬にしてつかみ、その未来像への道程を最短距離で示してくれるショーンはとても魅力的。うだうだいっている時のエドワルドは自分にとってプラスじゃない。

金が欲しいか、と聞かれたらすかさず、欲しいと言うだろう。自分の思い通りのことを思い通りにやるための手段だからだ。そして、何かをなしとげたことの証でもあるからだ。

Facebookの発展に邪魔な奴はいて欲しくない。だからエドワルドを排除した。
理屈は一貫している。  (つづく

パソコン歴30年のおれが語る、10年前

ぐぼぐぼ。今日は、こんなん出ましたぁ。
---------------

おれ57歳。職業訓練校講師。
技術屋ではないが、バイクとパソコンについては、お金も情熱も注ぎ込んできた。


10年前に数十万円のキカイを使ってインターネットに繋いで、汚い画像とテキストの中におもしろさを見いだしていたインテリでフェティッシュな人たちだけだったインターネットというメディアは、いまでは携帯電話のおまけとしてタダみたいな金額で接続できるようになっています。そしてそこで楽しむことができるコンテンツも、まだ画質は悪いけれどふつうにテレビと同じものを見たり、CDと同程度の音質で音楽が聴けたり、誰にでもわかりやすく楽しいといえるものになりました。
この事実は間違っちゃいないんだけど、8ビットで通信始めたおれの感覚からすると、ちょっと違う。

この記事が書かれたのは、2007年。だから、1997年の話だ。

”数十万円の機械を使ってインターネットにつないで、汚い画像とテキストの中におもしろさを見いだしていたインテリでフェティッシュな人たち。”

確かに今の感覚からするとそう見えるのかもしれない。
中学生が、ゲーム機でインターネットにつないで、というような状況では、確かになかったし2011年の今に比べたらそうなのだろう。

ITの世界では、1990年代の後半というのは、ドッグイヤーという言葉を知り、そのことが実感になった時代だった。一年たてば風景は変わる。

1997年は、OSはWindows95が主流だった。
それ以前のWindows3.1からインターネットに接続していたやつと、Win95から始めたやつ、そして1998年にリリースされたWindows98で始めた連中では、だいぶ種族が違う。

おれがインターネットに触れたのは1994年。wwwの普及ちょっと前でGopherというプロトコルを使っていた。Gopherはマルチバイト対応じゃなく、英語でしか使えなかった。そのころインターネット使っていた連中は、インテリでフェティッシュだった。パソコン通信を早くから始めていた連中が、新しい船であるインターネットに乗り換はじめたわけ。英語オンリーは敷居を高くした原因の一つだ。

同時にこの年には、wwwが普及し始め、TCP/IPでの接続が一般的になった。TCP/IPモジュールがWindowsに初期状態で組み込まれたのが1995年のWindows95から。Windowsはインターネットの利用を前提としたものとなった。

そして、1997年はパソコン通信の人数をインターネット利用者の人数が逆転した年だ。つまりユーザーが、一部のインテリとはいえなくなった時代だ。

手元に一冊の本がある。「インターネットの5年後を読む
著者は西垣通。当時も、そして今でも東大の先生だ。

出版されたのは1996年4月。
最初の項目は、「インターネット・ブームの落とし穴」
つまり、1996年では、インターネットが注目を集めていた、ということ。
ちょうど昨年のTwitter「ブーム」のような状況だったわけ。

この本からみると、今はインターネットの「15年後」になっている。
当たっているところ、外れているところ、いろいろあっておもしろい。
例えば「東京一極集中は緩和される」という予言は外れたし、「有名人との対話などは幻想だ」、ということも、Twitterなどを通じて、少なくとも当時考えられていたレベルよりは実現されている。
ただ、15年たった今でも決着のついていない問題もかなり含まれている。
例えば、p終身雇用制は崩壊しない」という断言である。5年スパンでは確かに変わらなかったが、15年たった今、その主張を貫くのは勇気がいる。

いずれにしても、1996年には、こうしたことが議論の対象になっており、決してそれが「ごく一部の関心事項」でなかったからこそ、カッパブックスという大衆向けの新書で出版されたわけである。

当時は、もう大企業でなくても、職場では一人一台コンピューティングが普通になっていた。都会の標準的な家庭には、一台くらいはPCが入り始めた時代。ノートパソコンを使っている人もごく普通にいた。

仕事でパワーポイントなどでスライドを作るのも、このころでは当たり前になっていた。
そもそも、プレゼンテーションという言葉が使われ、一般企業でも使われるようになってきたのも、おそらく1990年代後半以降だったと思う。

技術は常に進歩し、あとからみると、必ず古くさく見える。
それと同様、それ以前と比べると、格段の進歩を遂げている。

たぶん、10年たったら、こういわれるだろう。
10年前には、電子書籍や、スレート型の情報処理装置がごく一部のインテリとフェティッシュな人につかわれていて、クオリティが低かった。特に動画の画質はひどく、今から考えるとにわかには信じがたい。翻訳ソフトは、使い物にならなかった。
今は自動翻訳ソフトのおかげで、語学をがっつり勉強する必要がなくなった。

2021年まで、生きてて良かった。
なんてね。

--------------------
<注記>
  • 引用したブログの認識が間違っている、ということではありません。言いたいのは1997年以前にインターネットやパーソナルコンピューティングの体験をしたかどうかによって、感じ方が違うのではないか、と思うのです。
  • PCの黎明期についての話は、以下を参照してください。
  • 1)僕らのパソコン10年史 日本のPCの普及・発見も
  • )ハッカーズ        アメリカのPCブームの少し前からの史実を書いている
  • 3)パソコン通信開拓者伝説 日本のパソコン通信についての見解が書かれています







2011年1月21日金曜日

警備員のおじさん、Love 

きょうは、こんなんでました。

----------------------
私は不動産会社に勤めるOL27歳。

六本木一丁目の改札口を毎朝9時少し前に出る。
駅に直結したビルの自動ドアが開いたとたん、張りのある「おはようございます」の声が聞こえる。

警備員のおじさん。
彼は毎日、おはようございますマシンになっている。
ひとりひとりに、声をかける。
きちんと頭を下げる。

パパより少し年配だろうか。
警官のできそこないのような、まあ、きまりきった制服に、きちんと刈り込んだ銀髪。。

警官のような眼光鋭い感じでもない。
背広を着ていたら、サラリーマンの管理職に見える。
どことなく安心感のある趣。
元は、営業マンだったんじゃないかな。

ビルを出るときにも「行ってらっしゃいませ」と声をかけてくれることが多い。
そのタイミングがまたいい。
出先から帰ってきたときは、なぜか、頭を下げるだけ。
休日出勤の時は、ご苦労様ですといってちょっとにこっとすることもある。

なんか、いい気分になるんだよねー。

サラリーマンを卒業して、今の仕事に就いたんだと思う。
だから、勤め人の気持ちがよくわかってるんじゃないかな。
若い人だと、たぶんこの落ち着きは出ないと思う。
誰にでもできる仕事のようでいて、誰がやっても同じというわけではなさそう。

お給料はそんなには良くないでしょうね。

ほかのビルに行っても、こんな警備員さん、けっこういる。

去年アメリカのホテルにタクシーで行ったとき、有色人種のドライバーの人に、
まるでけだもののように、あっちへ行けと指示したときのホテルの白人ポーターの尊大さを
時々思い出すことがある。

何年か前のおじさんなら、絶対に私よりポジションが上だったような気がするんだけど、
今ではおはようございますマシンになれるのは、階級のようなことを
日本は意識しなくていいからかな、と思ったりもする。

私の想像だけど、営業のプロから警備のプロにしっかり転身している。
そして、過去の経験が生きていて、目配りを行き届かせて、お手本のような挨拶をしてくれる。

実はさっき、床が濡れていて転びそうになった。ふと顔を上げると警備員さんと目があった。
心配そうな表情だった。
わたしはちょっと照れて、えへへと笑った。
おじさんも、つられて笑った。



2011年1月19日水曜日

口上 (ブルバキまたはビリーミリガン)

ブログの書き手は、シンバシで水晶玉を除いているクリスタル文文というおっさんです。
このおっさんは、自称占い師ですが、イタコと呼ぶ人もいます。
イタコですから、キリストでもキリストよりも偉いジョンでも、タモリの偽物タモソにもなります。。
どんな人が出てくるかは、その時に書いた人が誰かにもよりますし、書いた人の気分に左右されます。ひとりAKB48と考えていただいても結構です。AKB48をご存じない年季の入った方はブルバキまたはビリーミリガン、あるいは琴姫というとわかるかも知れません。因みに数学者とアメリカ人男性と、お姫様です。
イタコですから、嘘と本当の区別がつきません。何を話しているか、話し終えたら忘れてしまいます。
要はAll That Jazz、なんでもありです。
同盟の映画タイトル、ロイ・ジャイダー演ずる主人公は、朝こうつぶやいて一日を始めます。
It's showtime, folks!
これはたぶん本当です。