2011年6月1日水曜日

音グルメ

ひゅーんひゅーん。本日は、グルメ評論家音竹福三さんの一家言です。

----------------

耳においしい食べ物を。
などと書くと、 耳からそうめんでも流し込むような
奇妙な光景を想像するかも知れないけど。


耳から入ってくるものは、基本的に空気で、
耳から脳に伝わるのは、空気の振動、
つまりは、おいしい音をもっと聴こう、ってわけ。


質を伴う音は大きく二つに分かれる。
一つは、音楽。誰それのどんな曲、でわかる。
もう一つは、音そのもの。素材としての音。
二つとも大事じゃないかと思うのです。

おいしい食べ物は、素材と調理、
両方整っていないといけませんね。


音の善し悪しをコトバで伝えるのはなかなか難しい。
だから、「いい音楽を」とは言いやすいのだが、
それにふさわしい音を、といっても
じゃあどんな?となる。


めがねレンズの善し悪しによる、
見え方の差について、 語りにくいのと同じ。


少なくとも、この私に一つ言えることは、
おいしい音、というものが確実に存在していて、
それが耳から入ってくると至福の体験が得られる、ということ。


同じ音楽が違って聞こえる。
今まで聴いていたのは何だったんだろう、と思えることがある。
そうした体験には、いくばくかの努力が必要。


良い素材は、それが良いとわかっていることと、
それを探して手に入れる努力、いや楽しみ。
手間ひまと、お金を投ずる思い切り、または覚悟。


個人的な体験は、たとえ伝えられても、共有はできない。
私の至福、としてしかわからない。


苦痛に耐えて走る人だけが、
ランニングハイを体験することができるように、
良い音による至福の体験を、
一生知らないでいることもあるし、
知ってしまって虜になる人もいる。


いろんなことで人生が変わる。
音にもそうした力があるのだなあ、とちかごろ思っています。


0 件のコメント:

コメントを投稿