2011年1月22日土曜日

パソコン歴30年のおれが語る、10年前

ぐぼぐぼ。今日は、こんなん出ましたぁ。
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おれ57歳。職業訓練校講師。
技術屋ではないが、バイクとパソコンについては、お金も情熱も注ぎ込んできた。


10年前に数十万円のキカイを使ってインターネットに繋いで、汚い画像とテキストの中におもしろさを見いだしていたインテリでフェティッシュな人たちだけだったインターネットというメディアは、いまでは携帯電話のおまけとしてタダみたいな金額で接続できるようになっています。そしてそこで楽しむことができるコンテンツも、まだ画質は悪いけれどふつうにテレビと同じものを見たり、CDと同程度の音質で音楽が聴けたり、誰にでもわかりやすく楽しいといえるものになりました。
この事実は間違っちゃいないんだけど、8ビットで通信始めたおれの感覚からすると、ちょっと違う。

この記事が書かれたのは、2007年。だから、1997年の話だ。

”数十万円の機械を使ってインターネットにつないで、汚い画像とテキストの中におもしろさを見いだしていたインテリでフェティッシュな人たち。”

確かに今の感覚からするとそう見えるのかもしれない。
中学生が、ゲーム機でインターネットにつないで、というような状況では、確かになかったし2011年の今に比べたらそうなのだろう。

ITの世界では、1990年代の後半というのは、ドッグイヤーという言葉を知り、そのことが実感になった時代だった。一年たてば風景は変わる。

1997年は、OSはWindows95が主流だった。
それ以前のWindows3.1からインターネットに接続していたやつと、Win95から始めたやつ、そして1998年にリリースされたWindows98で始めた連中では、だいぶ種族が違う。

おれがインターネットに触れたのは1994年。wwwの普及ちょっと前でGopherというプロトコルを使っていた。Gopherはマルチバイト対応じゃなく、英語でしか使えなかった。そのころインターネット使っていた連中は、インテリでフェティッシュだった。パソコン通信を早くから始めていた連中が、新しい船であるインターネットに乗り換はじめたわけ。英語オンリーは敷居を高くした原因の一つだ。

同時にこの年には、wwwが普及し始め、TCP/IPでの接続が一般的になった。TCP/IPモジュールがWindowsに初期状態で組み込まれたのが1995年のWindows95から。Windowsはインターネットの利用を前提としたものとなった。

そして、1997年はパソコン通信の人数をインターネット利用者の人数が逆転した年だ。つまりユーザーが、一部のインテリとはいえなくなった時代だ。

手元に一冊の本がある。「インターネットの5年後を読む
著者は西垣通。当時も、そして今でも東大の先生だ。

出版されたのは1996年4月。
最初の項目は、「インターネット・ブームの落とし穴」
つまり、1996年では、インターネットが注目を集めていた、ということ。
ちょうど昨年のTwitter「ブーム」のような状況だったわけ。

この本からみると、今はインターネットの「15年後」になっている。
当たっているところ、外れているところ、いろいろあっておもしろい。
例えば「東京一極集中は緩和される」という予言は外れたし、「有名人との対話などは幻想だ」、ということも、Twitterなどを通じて、少なくとも当時考えられていたレベルよりは実現されている。
ただ、15年たった今でも決着のついていない問題もかなり含まれている。
例えば、p終身雇用制は崩壊しない」という断言である。5年スパンでは確かに変わらなかったが、15年たった今、その主張を貫くのは勇気がいる。

いずれにしても、1996年には、こうしたことが議論の対象になっており、決してそれが「ごく一部の関心事項」でなかったからこそ、カッパブックスという大衆向けの新書で出版されたわけである。

当時は、もう大企業でなくても、職場では一人一台コンピューティングが普通になっていた。都会の標準的な家庭には、一台くらいはPCが入り始めた時代。ノートパソコンを使っている人もごく普通にいた。

仕事でパワーポイントなどでスライドを作るのも、このころでは当たり前になっていた。
そもそも、プレゼンテーションという言葉が使われ、一般企業でも使われるようになってきたのも、おそらく1990年代後半以降だったと思う。

技術は常に進歩し、あとからみると、必ず古くさく見える。
それと同様、それ以前と比べると、格段の進歩を遂げている。

たぶん、10年たったら、こういわれるだろう。
10年前には、電子書籍や、スレート型の情報処理装置がごく一部のインテリとフェティッシュな人につかわれていて、クオリティが低かった。特に動画の画質はひどく、今から考えるとにわかには信じがたい。翻訳ソフトは、使い物にならなかった。
今は自動翻訳ソフトのおかげで、語学をがっつり勉強する必要がなくなった。

2021年まで、生きてて良かった。
なんてね。

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<注記>
  • 引用したブログの認識が間違っている、ということではありません。言いたいのは1997年以前にインターネットやパーソナルコンピューティングの体験をしたかどうかによって、感じ方が違うのではないか、と思うのです。
  • PCの黎明期についての話は、以下を参照してください。
  • 1)僕らのパソコン10年史 日本のPCの普及・発見も
  • )ハッカーズ        アメリカのPCブームの少し前からの史実を書いている
  • 3)パソコン通信開拓者伝説 日本のパソコン通信についての見解が書かれています







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