--------------------
昨日、昼の授業が終わったあと、エリと待ち合わせて、有楽町の映画館で、ソーシャルネットワークを観た。終わったあと、呆然としながら、クレジットにNamcoのTekken3が見えたあたりで、エリに促されて席を立った。
エリが、おもしろかったね、というので、そうだね、と生返事をしたものの、まだぼーっとしていた。
「でも、やな男よねー」と続いた言葉にはっとして、「おれ、ちょっとトイレ行ってくる」といって、トイレに向かった。エリと会話を続けると、なんかやばいことになりそうな気がしたからだ。
「エリごめん。急に先輩から呼び出し食って、断ったんだけどちょっと行かないとまずいことになった。今日は徹夜になりそうだけど、明日の夕方、一緒に土曜会いこうよ。また連絡するわ。」といったまま、人がいっぱいのエレベータに乗り込んで、たいした会話を交わすことなく、エリと分かれた。マックに飛び込んで2個ハンバーガーをむさぼるように食べ、ふらふらと、薄暗いバーに飛び込んだ。デート用に下ろした一万円があるから、とりあえず、暴飲しなければ大丈夫。
バーに来るのは初めてだ。普段もそんなに飲まない。でも、とにかく一人になりたかった。エリと二人で観るのに、蘊蓄めいたことを話せるんじゃないか、って軽いノリであの映画をえらんだことをちょっぴり後悔した。ジントニックをちびちびとやりながら、映画の余韻に浸ることにした。
映画の最初に、マーク・ザッカーバーグが自己中で尊大な話っぷりで彼女を怒らせ、部屋に帰って彼女を罵倒しながら、ブログを書く。あれは、みんなマークを「外側から」観るようにさせるための仕掛けだ。おれも、ありゃないよ、なんてえらそーな奴なんだって思った。あれじゃ、ガールフレンドなんてできやしない。
だけど、一心不乱にコードをはき出し続けるマークを観ているうちに、なんとなく自分を観ているような気がして、そのうち、おれの「内なるマーク・ザッカーバーグ」がどんどんおれの中に膨らんでいった。
マークは次の3つで説明できる
- 限りなくピュアなやつ
- 言い訳なし、信念を曲げない強いやつ
- 才能ある生粋のプログラマー
だけど、マークの三つの成分が見えてしまうと、
自分との共通部分もわかってきて、同情する部分ができてくるのだ。
この映画で、彼がウィンクルボス兄弟から訴訟されている理由のが、アイデアの盗用、だ。
だが、マークは「盗用」ということに対して「自分の発明だ」と強く主張する。
ウィンクルボス兄弟の「コネクトユー」のアイデアを耳にしたあとで、
マークは自分でコードを書いて、フェースブックの原型を作り出す。
全部のページの下に、マーク・ザッカーバーグ・クリエイションという権利を主張する文字を張り込む。
そりゃ怒るの無理ない、コネクトユーのコードを書くと言って「同じようなもの」を作って自分のものだなんて、いけしゃあしゃあとよく言ったものだ、と思うだろう。客観的にはそれは間違いじゃないし、だから訴訟のネタにだってなるわけだし。
でも、とマークと一体化したおれは想像した。
最初は、理学部のおれが、文学部のかわいい女の子と知り合えるには、とか考えているうちに、こうしよう、ああしよう、とどんどんアイデアが膨らんでくる。もう、湧いて出てくる。湧いて出たアイデアを全部、そう全部一気に形にしてしまいたくなる。そのアイデアは、ぼんやりとした「コンセプト」なんかじゃない。実現するために、どんなモジュールとどんなモジュールをどこからどうやって持ってきて、足りないところを自分でコードを書いてそしてそれがどのように形にされ、どうやってデータを確認するのかわかる。ウィンクルボスは、自分のフェースマッシュという形になったものを目にして、おれに仕事を頼んだんだ。ひょっとすれば、フェースマッシュをみて、これをハーバードエクスクルーシブの、デート相手探しシステムにしたいって考えただけかもしれないしね。いやそれ以外に大したことは何一つ聞いていない。仕様書作ったか?核となるようなアルゴリズムを示したか?フェースマッシュはおれの発明だ。おれがアルゴリズムをエドワルドに助けてもらってすべてを作った。少なくともあれはおれとエドワルドの作品だ。写真をもってくることも、それをレイアウトして、ボタンを配置して...一切合切おれがやった。あいつらはコードを書いてない。今ここでこうやって形にしているものを創造しているのはおれだ。おれが考えていることを、他人に先を越されるのはいやだ。だから全部、そう、全部を形にしてやる。サーバーの負荷分散考えたり、拡張性の確保を考えたり、全部おれが以前から持っているノウハウだ。おれのクリエイション、おれのインベンション。いや、とにかくやりたいことは、ちゃんとしたものを作って、早くテストすることだ。フェースマッシュで経験積んでいるから、ぜったいうまくいくはずだ。楽しい、ひたすら楽しい。コード書いている間、おれは無心になれる。プログラムがどんどんできる。ハッピーだ。・・・・・・・・・・・コードを書くということは、支配、統制するということだ。コードの命ずる範囲で、物事が動いてゆく、ということだ。プログラミングが、みんなを熱中させるのは、コードを書いた「自分が」、何かを支配できる感覚をもてるからだ。マーク・ザッカーバーグは、自分の支配できるものの大きさを知って、それに他人があれこれいうことを嫌ったに違いない。自分とウィンクルボスが考えていることに差がある、と思ったのだろう。自分が合わせるのではなく、自分が作ってしまえば、そこにすべてが表現されている。無駄な議論をせずに、他人を黙らせられると思ったのだろう。彼がとことんピュアなのは、自分がやりたいというものをとにかく実現させること以外に関心を寄せないことだ。コードを書いて、作動させて、ものごとを動かし、支配する。誰かにきいた、PDCAサイクルを自分の考えで回している、そんな感じだ。訴訟も退屈、広告取りの営業も退屈、知っていることを授業できかされるのも退屈。でもFacebookの本質を一瞬にしてつかみ、その未来像への道程を最短距離で示してくれるショーンはとても魅力的。うだうだいっている時のエドワルドは自分にとってプラスじゃない。金が欲しいか、と聞かれたらすかさず、欲しいと言うだろう。自分の思い通りのことを思い通りにやるための手段だからだ。そして、何かをなしとげたことの証でもあるからだ。Facebookの発展に邪魔な奴はいて欲しくない。だからエドワルドを排除した。理屈は一貫している。 (つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿